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第2話 瑠璃色のペンと、覚えていてくれた奇跡

Penulis: 月歌
last update Terakhir Diperbarui: 2025-12-01 15:43:44

イベント当日。

電車の中で何度も深呼吸をしていた。

黒いワンピース。薄くメイク。

三十一歳らしく、落ち着いた雰囲気を心がけた。

若作りして浮くのが一番怖い。蓮くんのファンは二十代前半が多い。

私なんておばさんの部類だ——そう思いながら、会場の劇場に到着した。

入り口には長い列。

みんな、私と同じように緊張した顔をしている。

でも、その目はキラキラと輝いていた。

座席は前から五列目。

ステージがよく見える。

隣に座った女の子同士の会話が聞こえる。

「ねえ、今日のお渡し会で何渡す?」

「手紙と、クッキー焼いてきた!」

「えー、すごい!私は色紙」

みんな準備万端だ。

私はというと、手紙を一通。

便箋三枚に、五年間の感謝の気持ちを綴った。

何度も書き直して、やっと完成したもの。

——これを、蓮くんに渡せるんだ。

照明が落ちた。

ステージに光が当たる。

会場がどよめく。

そして——彼が現れた。

「こんにちは。柊木蓮です」

声。

生の、柊木蓮の声。

いつもイヤホン越しに聞いていた声が、空気を震わせて直接耳に届く。

「今日は『月夜の恋文』朗読劇イベントにお越しいただき、ありがとうございます。精一杯お届けしますので、最後まで楽しんでください」

深々とお辞儀をする蓮くん。

黒いシャツに、濃紺のジャケット。

すらりとした長身。

柔らかく微笑む表情。

写真で見るより、ずっと綺麗な人だった。

朗読劇が始まる。

物語は、戦場に向かう騎士と、彼を想う令嬢の恋。

二人は文通でしか想いを伝えられない。

蓮くんが演じるのは、騎士。

『——君の手紙を読むたび、僕は生きる理由を思い出す』

低く、優しく、それでいて切ない声。

『どうか、待っていてほしい。必ず、君のもとに帰るから』

胸が締め付けられる。

演技なのに、本当に誰かを想ってるみたいに聞こえる。

声だけで、こんなにも感情が伝わってくる。

朗読劇が終わる頃には、会場中がすすり泣きで包まれていた。

私も、泣いていた。

「……ありがとうございました」

蓮くんの声が震えている。

彼自身も、感情が入りすぎて涙ぐんでいるようだった。

カーテンコール。

鳴り止まない拍手。

「皆さんの温かい拍手が、本当に嬉しいです。ありがとうございます」

何度も頭を下げる蓮くん。

そして——お渡し会の時間。

列に並びながら、ずっとドキドキしていた。

手紙を握りしめた手に、汗が滲む。

「次の方、どうぞ」

スタッフに促されて、前に進む。

そこに、蓮くんがいた。

「こんにちは」

笑顔。

目が合った。

「あ……こんにちは」

声が裏返る。

最悪だ。

「今日は来てくれてありがとうございます。お手紙、ですか?」

蓮くんが手を差し出す。

綺麗な手。

指が長い。

「は、はい……あの、いつも応援してます」

震える手で、手紙を渡す。

「ありがとうございます。後でしっかり読ませていただきますね」

蓮くんが手紙を受け取る。

その時だった。

私のバッグから、何かが落ちた。

カラン、という音。

「あ……」

ボールペン。

瑠璃色の、お気に入りのペン。

とんぼ玉が埋め込まれた、綺麗なペン。

いつもバッグに入れている。

蓮くんが、それを拾い上げた。

「これ……」

彼の手の中にある、私のペン。

「すみません、ありがとうございます」

慌てて受け取ろうとした瞬間、蓮くんの表情が変わった。

「……あの」

え?

「もしかして、以前もイベントに来てくれました?前のラジオ公開収録の時」

——覚えてる?

まさか。

「は、はい……半年前の、渋谷での……」

「やっぱり。覚えてます」

蓮くんが微笑んだ。

「その時も、同じペンを持ってて。とんぼ玉が綺麗だなって思って。印象に残ってたんです」

心臓が止まりそうになった。

覚えてる。

蓮くんが、私のことを。

「ほ、本当ですか……」

「はい。また会えて嬉しいです。これ——」

蓮くんがペンを差し出そうとした、その時。

「次の方、お時間です」

スタッフの声。

蓮くんの手が止まる。

「あ……すみません」

私は慌てて頭を下げた。

スタッフが私の肩を軽く押す。

列を進めなければならない。

「あの、これ——」

蓮くんがペンを差し出そうとしたが、私はもう次の位置に移動させられていた。

蓮くんの前には、次のファンが来る。

彼は視線を私から外し、次のファンに笑顔を向けた。

「こんにちは」

私は、列の外に出た。

ペンは、返ってこなかった。

——蓮くんが、持ったまま。

会場を出てから、私はしばらく立ち尽くしていた。

「……ペン」

呟く。

あの瑠璃色のペン。

蓮くんが、持ってる。

スマホを取り出して、康太に電話をかけた。

呼び出し音。

すぐに繋がる。

「どうだった?」

電話越しに聞こえる、康太の声。

「康太……信じられないことが起きた」

「何?」

「蓮くん、私のこと覚えててくれたの」

受話器の向こうで、康太が息を呑む気配。

「……は?」

「半年前のイベントで会った時のこと、覚えててくれて……」

声が震える。

「康太がくれたペンのこと、覚えててくれたの。とんぼ玉が綺麗だって」

電話越しに、康太の声が跳ね上がった。

「待って、それやばくない?」

「でも、ペン……返してもらえなかった。スタッフに時間だって言われて……蓮くんが持ったまま」

「え?」

「ごめん、康太。せっかく東京行く時にくれたペンなのに……」

電話の向こうで、康太が笑った。

「いや、待って」

「え?」

「むしろチャンスじゃね?」

受話器を握る手に、力が入る。

「だって、蓮くんがお前のペン持ってるんだろ?返さなきゃいけないって思うんじゃね?店のペンだし、一点物だし」

康太の店——奈良でとんぼ玉の雑貨を扱う店——で作った、特別なペン。

「お前、連絡先とか教えたの?」

電話越しに聞かれて、首を横に振る。

「教えてない……」

「じゃあ、もしかしたら蓮くんから連絡来るかもよ」

そんなわけない。

でも——

「……もしかしたら」

小さく呟いた。

家に帰ってからも、興奮が冷めなかった。

何度もイベントのことを思い返す。

蓮くんの笑顔。

声。

言葉。

そして、彼が手に持っていた瑠璃色のペン。

——また、会えるだろうか。

ベッドに入って、いつものように目覚ましアプリをセットする。

「おやすみ。いい夢を」

蓮くんの声。

今日は、どんな夢を見るんだろう。

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